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この手を離さない


大戦後に恋人同士になってるヒュンアバが前提です。お話は魔王討伐後に子ヒュンケルを引き取り旅をするところから始まります。ヒュンケルが若き日のアバンに出会うクロスオーバー作品。 #ヒュンアバ #R18
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「キャラバンが来ているようですね」

「キャラバン?」

 街はいつもより人が多く活気があった。
「世界各地をまわる商人たちの一団のことですよ」

 一度に何十台もの馬車が街路を進む音は、耳障りでありながらも、どこか壮大だ。荷物を積んだ馬車の列で、商人たちが新しい市場に向かって歩んでいる。彼らは鮮明な色合いのカーペットや、美しく手作りされた小物を売るために旅をしているのだ。

 人や出店で賑わう街が初めてなのだろう。ヒュンケルはアバンの影に隠れながらも興味津々で周りを伺っている。
「人が……たくさん」
「ひとりで行かないでくださいね?迷子になっちゃいますから」
 きょろきょろとあちらこちらを見ているヒュンケルに釘を刺した。
「ならない」
 子ども扱いされたヒュンケルはムッとした顔で答えると、アバンの足元を離れ、わざと足音を立ててズンズンと石畳を歩き出した。

 普段は古びた無人の山小屋を借りたり、洞窟なんかで野宿をして暮らしている。日々の食事は山で採れた山菜や木の実、川で釣った魚。十分な食事量は確保しているつもりだが、これだけでは成長期の子どもには栄養が足りない。たまには肉や乳製品も食べさせてあげたい。それに小麦粉や卵があればお菓子を作ってあげられる。少し前だったか、眠れないと機嫌の悪いに読んであげた童話に出てきたパンケーキに、ヒュンケルはとても興味を惹かれたようだったから、ぜひとも作ってあげたかったアバンはヒュンケルを連れて街に買い出しに来ていた。

 突然、パーンと大きな音が響いた。街の空気がざわめき、人々が驚きの声をあげた。破裂音に続いてラッパの音が高らかに鳴り響く。それはキャラバンのパレード開始の合図だった。
 急に人の流れが止まり、アバンたちの目の前を歩いていた男性が、大きな音に驚き立ち止まっていた女性とぶつかった。す、すまねぇと謝りながら慌ててその男性が後ずさりしたため、アバンはヒュンケルを庇うように男性との間に割り込んだが、今度はアバンがその男性とぶつかってしまった。しきりに謝る男性に大丈夫ですよと笑顔で答えたのだが、ふと後ろを見るとヒュンケルがいない。
「ヒュンケル!」
 大声で名を呼ぶも返事はない。すみません、通してください、と声をかけながら人ごみを搔き分けるが、キャラバンのパレードに道を塞がれ前に進めない。道を見れば、手品師が息をとめさせるマジックを披露し、また列の後方では、ピエロが子どもたちの笑い声を引き出すためにジャグリングをしていた。
 そんなに遠くへは行かないはずだが、なんせこの人の多さだ。背の低い子どもは見つけにくい。
ヒュンケル……!どこへ?

「銀髪でこのくらいの背丈の男の子を見ませんでしたか?」
 腰のあたりを手で指し示し、道行く人に尋ねて回った。
「さぁ、この人の多さじゃ……お役に立てなくてすまないねぇ」
 丁寧に礼を言い、場所を変えては同じ質問を繰り返した。


 キャラバンはまるで風を運んできたかのように、街に楽しさと喜びを運んでいた。そして一瞬、彼らは消え去り、街は静寂に包まれる。街路に残された色とりどりの紙吹雪だけが、キャラバンの足跡を残していた。


 どのくらいの時間が経っただろう。パレードが終わり少し人が捌けた街の中央広場で、噴水の縁石に腰かけたヒュンケルを見つけた。
「ヒュンケル!」
 私は叫ぶと噴水へ走った。ヒュンケルは私を見つけると一瞬泣きそうな顔になるのを堪え、ぐっと拳を握り締め私のところへ駆けてきた。アバンは地面に膝をつき、駆け寄ってきたヒュンケルの背中をぎゅっと抱きしめた。
「よかった!無事で……」

「どこ行ってたんだよ!」
 ごめんなさい、と答えてからどちらが迷子か分からない物言いにアバンが思わず笑ってしまうと、抱きしめられたままのヒュンケルは「何笑ってるんだよ!」と怒った口調で言った。会えてホッとしたことによる裏返しなのだということはわかっていた。知らない街にひとり、心細かったのだろう。

「怖い思いをさせてしまいましたね」
 顔を覗き込むようにかがむと、ヒュンケルの目尻には涙が滲んでいた。
「べ、別に怖くなんかないし」
 泣いてしまったら自分とはぐれてしまったことを気に病んだ私が悲しむと思っているのだろう。この子は優しい子だ。懸命に涙を堪えようとする小さな子の姿に胸が締め付けられる。
「か、買い物まだだぞ」
「そうですね。お買い物しにいきましょうか」
 泣いていることを悟られないように急いで涙を袖でぬぐうヒュンケルに、気付かないふりをしてアバンは微笑んだ。

「また迷子になるといけないので、手をつないでもいいですか?」
 お伺いを立てるように、アバンが手のひらをヒュンケルにそっと差し出す。
「……いいけど」
 そう言ってアバンから目を逸らし、口を尖らせたままそっと手を握った。照れているのだ。口を尖らせ横を向くのは照れ隠しの癖なんだと、このとき知った。ありがとうございます、と言いながらまたもやふふっと笑ってしまうと、ヒュンケルは「なに笑ってるんだよっ」とまたもや怒った口調で言った。


 その街の洋品店に寄り、服を仕立てた。真っ赤な詰襟を着るようになったのはそのときからだ。

 遠くにいても目立つように。
 私がどこにいてもわかるように。

「……派手だな」
 ヒュンケルは眉根を寄せて言った。
「ふふ。似合いますか?」
 アバンがにっこり微笑んで上着の裾を持ちくるりと回ってみせると、ヒュンケルはフンと鼻をならし口を尖らせて顔を横に向けた。それを見たアバンはもう一度笑った。

 それから街へ買い出しに出るときは必ずふたり手を繋いて歩いた。ヒュンケルの小さな手のひらをぎゅっと握って、

――もう二度とこの手を離さない。

 そう、心に誓った。
 はずなのに。


◇


 オレの父はバルトスだけ。昔も今も、そう思っている。
 だからアバンは父親になろうとはしなかった。
 信用される人になろうとしていたことはわかる。選んだのは家庭教師という立場だった。

 魔物の群れの中で育ったオレに、人間として生きる術を教えてくれた。

 一緒に旅をするようになってしばらくして、赤い服を着るようになった。
 アバンは何も言わなかったが、迷子になったオレのためだというのはすぐわかった。
 森の中でも、街の中でも、あの赤い詰襟はよく目立った。

 憧れていたんだ。強くて優しいあの人に。
 惹かれていたんだ。父さんを殺したのはこの人なのに。
 そんな自分が自分で許せなかった。父さんに対する裏切り行為だと思った。
 この人は父の仇なのだと、憎むべき相手なのだと、必死に自分に言い聞かせていた。
 感情は無理矢理箱に押し込めた。入りきらなくなって溢れてしまっても、力を込めて蓋を押さえつけていないとすぐに出てきてしまいそうで。

 子どもだった。何もわかっていなかった。
 そんなものは何の言い訳にもならない。
 思いのままに感情をぶつけ、あなたを困らせた。

 眩しすぎて見つめることができない太陽のようで、オレはいつも目を逸らしてばかりだった。
 でも心は常に光を求めていたんだ。


◇


 今でも夢に見る。
 冷たい水の中へ落としたことを。

 冷たかっただろう。
 怖かっただろう。
 いつしかはぐれたときに、泣くのを堪えて我慢していたヒュンケルの顔を思い出す。
 強い子だった。
 優しい子だった。
 助けを求めて必死に手を伸ばしていただろうに、私はその手を掴むことはできなかった。

 あれから街で銀髪の子どもを見かけるたびに、慌てて駆け寄り声をかけた。
 不思議そうにまばたきをし、丸い大きな目でこちらを見る子どもに、その都度「人違いだったみたいです。ごめんなさいね」と笑顔を向けた。作り笑いの仮面の下で数え切れないほど泣いた。

 迷い子を捜して旅に出たつもりだったけれど、迷っていたのは間違いなく私のほうだった。
 心は暗い水の底をさまよい続けている。どこにも出口がなくて、いつも窒息しそうだった。


 カールの孤児院に入れてはどうかというフローラの提案をやんわり断り、人間と暮らすことに慣れていないから、と彼を引き取ることに決めた。
 勇者といえど王族でないものを城内に迎え入れることを快く思わないものも多かったから、私のことを憎からず思ってくれているフローラ以外に特に反対する者はいなかった。
 ヒュンケルが私を父の仇と憎んでいたことは知っていた。怒りの矛先が私ならば、私と一緒にいたほうが他の人間たちに危害を加える心配もないだろうという目論見もあった。
だが、何より私が彼と一緒にいたかったのだ。

 彼を失ったのは私の未熟さが招いた結果だ。

 子どもひとり救えずに何が勇者だ。
 私の英雄譚など過去のおとぎ話にしかならないのだと思い知らされた。


 あれからずいぶんと背丈も伸びていることだろう。髪は短くしてるのかな。長い髪もきっと似合うだろう。街ですれ違ったら彼だとわかるだろうか。

 私はあれ以来ずっと赤い詰襟を着続け、勇者の家庭教師を名乗りながら世界各地を回っている。
 彼は私を見かけて声をかけてくれるだろうか。相変わらず派手だな、と。

 どうか、どうか無事でいてください。私のことを憎んだままでもいい。
 生きてさえいてくれたら、それでいい。

 もしもどこかでまた会えたのなら私はあなたの手を絶対に、

――離したりはしないから。


◇


 ここはどこだ?

 ヒュンケルが細くて長い洞窟を抜けるとそこは、どこか見覚えのある場所だった。


 最近、行方不明者が多い地域があるのだという。しかも、いなくなったままではなく、数時間から数日でふらっと戻ってくるという噂だった。
いわゆる神隠しというやつだ。

「気になりますね」
とアバンは言った。

「時空が歪んでいる場所があるのでしょうかね? もしかしたら魔界等へ通じる穴があるのかもしれません」
 少し調べてみましょうか、とアバンと二手に分かれ調査に向かった。

 大雨の後でもないのに崖崩れだろうか、岩肌が削れ、大穴が空いていた。塞がっていた洞窟の入り口が現れたようだった。人一人が屈んでやっと入れるくらいの入り口だったが、一歩足を踏み入れると割と広い。ヒュンケルはランタンをかざし中の様子を伺った。鍾乳洞のようだ。少しだが奥から空気が流れてくる。出口はどこかに繋がっているのか、行き止まりでは無さそうだった。ところどころ袋小路のような拓けた場所があるが迷路のようではなく、基本的に一本道だった。洞窟の出口付近の壁に大きくくり抜かれたような窪みがあり、かまくらのようになっていた。
 洞窟の外へ出ると意外に風が強く吹いている。近くに川のせせらぎが聴こえる。

「そこの剣士の方!」

 突然声を掛けられ振り返ると、そこにいたのは、

 アバンだった。

 いや、アバンに似ている、が何か違う。随分と若い……な。

 髪形はいつものくるりと巻いた二段ロールで赤い詰襟を着ているが、明らかに今のヒュンケルより若かった。息せき切らして走ってきたようで、両ひざに手をつき、はあはあと呼吸している。

「男の子を見かけませんでしたか?」
 顔を上げて尋ねられ、驚いた。泣いているのかと思ったのだ。よく見るとびしょ濡れだ。眼鏡はかけていない。前髪から滴り落ちた水が目尻から頬を伝い滑り落ちた。

 ヒュンケルが黙ったまま、あまりにじっと見つめているので「あの……」と不安そうに見つめ返してくる。

「迷子か」
「はい。銀髪のこのくらいの背丈の子です」
 と自分の腰のあたりを手で示してから、「あ、今はもう少し背が伸びていると思いますので、えっと、このくらいでしょうか」と先ほどより高い位置を指し示した。

「川に落ちてしまったんです」
「川の底も探したけれど流れが速くて……」
「あの子に何かあったら……」
 話始めると涙が止まらなくなったらしく、堰を切ったように泣き出したので最後のほうはよく聞き取れなかった。

「落ち着け。川に落ちたのはいつだ?」

「2年前です……」
「2年?」

 怪訝な顔をするヒュンケルの表情から、2年も経っているのにどうして今頃探しているのか、という問いを読み取ったのか、アバンに似た少年は答えた。
 川に落ちた男の子を探して度々この森に訪れていて、いないとわかっていても川に何か物影がみえると居ても立っても居られなくなり、未だに川に飛び込んで探してしまうのだ、と。

 川に落ちた男の子は――オレだ。

 あのあとすぐヒュンケルはミストバーンに拾われ、地底魔城へ連れられたのだ。この辺りにいるはずもない。

 この少年は昔のアバンだ。
 ヒュンケルが川に落ちてから2年後のアバン。


 ヒュンケルは13年前のあの山の中にいた。


 晴れていると汗ばむ陽気だが、森の木々が日差しを遮り木陰はひんやりとしている。川の水温はまだまだ低い季節だ。おまけに今日は風が強い。濡れた服はどんどん体温を奪っていき、アバンの顔は青白く、唇は紫色になっていた。

「濡れたままだと風邪をひくぞ」
 どこかで服を乾かさねば、と辺りを見渡したのだが都合よく小屋など見つからず、先ほどヒュンケルが通ってきた洞窟にあったかまくらのような窪みへ入り、焚火を起こした。


 薪がパチパチと音を立てている。
 アバンはゆらめく炎をじっと見つめている。

「取り乱してしまい、すみません」
 ゆらゆらと揺れる炎を見ているうちに、アバンは少し落ち着いたようだった。アバンはヒュンケルのマントにくるまっている。濡れた服は脱いで近くの岩場に広げて乾かしている。身体が暖まってきたのか、頬に赤みが差してきている。

「あなた、ちょっとヒュンケルに似ていますね。あ、ヒュンケルっていうのは探してる男の子のことなんですけど……」
 そう言ってオレに向かってオレについて知っていることをこと細かく語りだした。そうだ、この頃からよくしゃべる人だったな、となんだか懐かしくなった。

 アバンは自分が勇者であることは伏せ、これまでの経緯を身振り手振り――といってもマントの中なので見えないのだが――で話していたが、ふと急に話すのをやめ、黙り込んだ。
 どうした、と訊きかけて、目にじわりと涙が溜まっていくのに気づく。
「ヒュンケル……どこにいるんでしょうか……」
「まさかあのとき溺れて……」
 アバンの顔はみるみる青ざめていく。
「私のせいでヒュンケルが……」
 マントの中で膝を抱え、ぽろぽろと涙を流している。

 オレと離れ離れになったことでこんなにも心を痛めている。どうしようもなく苦しかった。言いたかった。オレはここにいる、と。ぐっと飲み込み、代わりの言葉を探した。

「大丈夫だ」

「いつか必ず、出会える」
 力強く言った。

 そう、これは事実だ。

 昔アバンが読んでくれた物語について、つい先日アバンと話す機会があった。不思議な扉から過去へ旅する少年の物語だ。ヒュンケルはそのお話が好きで、もっと話して聞かせろとよくせがまれたんですよ、とアバンは言っていた。正直オレはあまり覚えてはいなかった。タイムスリップした場合は過去の人物に未来で起こる出来事を話してはいけないのですよ、未来が変わってしまいますからね、とアバンは言っていた。ま、そんなこと早々起こりませんけどね、とカラカラ笑っていた。
 ヒュンケルとアバンが再会するのは事実だが、ヒュンケルが未来から来たとは知らないアバンからすれば、希望を捨てるなという励ましの言葉としかとれないから問題ないだろうと思った。


「あなたは優しい人ですね」
 アバンは顔を上げ、ニコッと笑うと眼尻の端から涙がこぼれた。ずずっと鼻をすすり、涙を拭おうとマントの隙間から手を出そうとしているがうまく出せないでいる。
「あ、あれ?」
 マントがずれ、アバンの腰のあたりまでバサっと落ちると、アバンの白い肌が露わになった。そのとき、パチっと大きな音を立て焚火が爆ぜた。
「わっ!」

 ヒュンケルはアバンを庇うように肩を抱いた。
「大丈夫か?」
「……は、はい」

 アバンはヒュンケルの腕にすっぽりと収まっている。

「なんともないです――」
 言い終わらないうちにヒュンケルはアバンの髪に顔を埋めた。どこか懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「っ……」
 アバンは思わず肩をすくめた。つむじにかかる息の何とも言えない感覚に震えている。
「あの……もう……大丈夫ですから……」

「華奢だな」

 こんなに細い肩だったんだな。あの頃のオレにはずいぶん大きな背中に見えていたんだ。多分それは見た目の大きさの話ではなかったのだと思う。オレにとってアバンの存在が大きかったからに他ならない。

「アンタはよくやってるさ」
「違う! 私は何もできなかった!」
 アバンはばっと顔を上げ叫んだ。
「私は絶対にあの子の手を離しちゃいけなかったのに! 私のせいであの子は……あの子は、」
 ヒュンケルはかぶりを振るアバンの両肩を掴んで口を塞いだ。
 一旦唇を離し、真正面から見据えてヒュンケルは言った。
「アンタのせいじゃない」

「だって、あのとき私が――」
 アバンの自分を責めようとする台詞を口づけたヒュンケルが飲み込む。

「だって、あれは、っ」

「でも、ん、っ」

 アバンが何か言おうとするたびにヒュンケルはキスで邪魔をした。それを何度か繰り返すと、妨害されてムッとしたらしく頬を膨らませたので、ヒュンケルは両手でアバンの頬を挟んで言った。

「これ以上自分を責めるな」

 アバンはどうしていいかわからない、というような複雑な顔をしている。濡れて束になっている睫毛の先に涙の雫が光った。

 ヒュンケルは両手でアバンの頬を抱いたまま、額に、瞼に、鼻に、頬に、啄ばむような口づけを幾度か重ね、大丈夫、大丈夫だと繰り返し言い聞かせた。
 こつんと額同士を合わせると、少し頬を緩めたアバンとふたりで小さく笑った。

 今度はアバンの耳たぶに、そして首筋へ順に口づけを落としていく。同時に肩から背中、腰をゆっくりと撫でる。柔らかく滑る肌だが、しっかりとした芯がある。まるでアバンそのものを表しているようだった。

 や、くすぐったい、と身を捩ってアバンは笑った。くすぐったいところは性感帯だとヒュンケルが揶揄うと、アバンは耳まで真っ赤にして俯いた。
「うん……あなたの手、気持ちいい……」
 頬を染め恥ずかしそうに口にするアバンを愛おしいと思った。


「キスがこんなに気持ちいいものだなんて。私、知らなかったです」
 唇を触れ合わせて、くっつける。たったそれだけなのにね。と、くすくす笑っている。
 アバンはヒュンケルと至近距離で見つめ合い、目元をくすぐるまつ毛の感触ですら気持ちいいというように、大きな目でまばたきを繰り返した。

 オレの知らない時代のアバン。ヒュンケルは目に焼き付けるように、その存在を確かめるかのようにアバンの頬を抱いて、すっかり血色の良くなった唇を指でなぞった。
「唇で触れるだけがキスだと思ってるのか」
 まだ序の口だぞ、とあきれたように言うとヒュンケルはアバンの下唇を親指でクイと下げた。
「口を開けろ」
 アバンは素直に口を開けた。「あ」と開いた唇の隙間から舌を入れる。歯列を撫で、舌を絡ませ、ヒュンケルはあらゆる部分を舌で弄った。アバンの口内でが触れてないところなどないくらいに。
 息を吐こうとしているのか、吸おうとしているのかも分からない。アバンはうまく息継ぎができず時々ん、とか、ふ、とか声を上げた。はじめての深いキスにいっぱいいっぱいのようだった。

 口の端に光る唾液を拭い、とろんと半分閉じた瞳に一応訊いてみる。

「アンタを……抱いてもいいか?」

「は……はい」

「でも……あの、私、こういうのはじめてで……」
 アバンの声は震えていたが、それは恐怖や不安というよりも期待と羞恥で溢れていた。
「見りゃわかる」
 このナリで百戦錬磨とか言われたら流石のオレも驚くぞ、とヒュンケルは苦笑する。

 ヒュンケルは座ったままアバンの膝を割るように脚を入れた。アバンは膝立ちで跨る形になってヒュンケルの肩に腕をまわす。
 荷物から潤滑油の小瓶を取り出した。これは、いつその機会があってもいいようにいつも持ち歩いているものだ。割とどこでもヤりたがるオレを「だって潤滑油もないでしょう? だから家まで我慢してくださいね」と諫めるアバンを説き伏せるためだ。

 とろみのある液体を指に纏わせ、その手が下肢の狭間に入る。つぷんと指が押し入ってくる感覚に、アバンの背筋が震えた。

「ひゃっ」
 あまりに色気の無い声を出してしまったことに気づき、恥ずかしそうにしている。
「ここを使うことを知らんのか?」
「知ってます、けど……」
 こんなの知らない……ぽそりと呟く。
 どっちなんだ。
 大人びているようで不思議と幼い。ヒュンケルの知らなかった過去のアバンの姿を見るのは面白い。

 狭窄な身体の内側を、ゆっくりと撫でる。
「痛むか?」
「痛くはない……です、けど、なんか……」
 変な感じ、です、と逃げたいのか腰をくねらせる。ヒュンケルの頭を抱えるようにしがみついていることに気付いたアバンが、
「あっ、ご、ごめんなさい」
 と、パッと手を離す。
「構わない。楽な体勢にしていろ」

 31歳のアバンと全く違う。指一本でもキツい。しっかり解さないと、とてもじゃないがオレのなど入らん。

 いつものポイントが分からず苦戦する。同じアバンなのにこうも違うものなのか、とここにきて13年の歳月を想う。
 時間をかけてゆっくりと進めていくと、指の数が増えて強くなった圧迫感に、吐息が漏れる。段々と吐く息に甘さが混じってくるのがわかった。
「……あ、ふ……ぁ」
 耳元で囁くような擦れた声がヒュンケルの腰を刺激する。

「ぁ、やっ」
 陸に上がった魚のように跳ねるポイントを見つけ重点的に擦る。
「や、や、あ、そこ、やだ、あ、」
「ここか?」
「あ、も、やっ……あ、ぁ」
 しがみついて必死に何かを我慢しようとしている。
「何っ、なんかっ……くるっ」
「これ、……なに、ぁ、んん――っ」

「あれこれ考えるな。身を任せろ」

 このまっさらな身体に、オレが最初の熱を刻みつける。その事実に気分が高揚する。
 たとえ今日のこの出来事をアバンが忘れてしまったとしても、身体が覚えていられるように。

「――――っ!!」

 声にならない声を出してビクビクと跳ねる身体を押さえつけた。
「大丈夫か?」
「……?」
 ナカでイくのは初めてなんだろう。はじめての感覚に頭がついていかないらしい。アバンは陶器のような肌を上気させ、肩で大きく息をしながら、目の焦点を合わそうとぱちぱちと瞬きを繰り返した。


 そろそろいけるか、とバキバキに反り返るヒュンケルのものを見て、アバンが息を呑んだのが分かった。
「自分でできるか?」
 ヒュンケルが尋ねるとアバンはふるふると首を左右に振る。
 まあ、そうだろうな、と腰を掴む力を調整し、自重でゆっくりと腰を下ろすように仕向けた。
「んっ」
 ヒュンケルの両肩に手をつき、引き裂かれそうな圧迫感に耐えながら腰を下ろしていく。アバンは固く目を閉じて眉根を寄せている。

「きついな……」
 ヒュンケルは思わず呟いてしまった。成長途中の細く狭いアバンの身体に少しずつ飲み込まれていく。しかし、まだ三分の一しか入っていない。
「いっ……っ」
 なかなか思うように先に進まない。慣れている31歳のアバンと比べて、このアバンは初めてなのだから無理もない。
「ゆっくりでいい。大きく息を吐け」
 ふうふうと息を吐き、目尻に大粒の涙を溜めながら、やっとのことでヒュンケルをすべて収めた。
「はい……った……?」
「ああ」

 しばらく馴染むのを待ってから、動くぞ? と、声をかけた。返事の代わりにコクリと小さく頷いたのを確認して、ゆっくりと律動をはじめる。相変わらず眉根は寄せたままだが、それでも徐々に痛みが、別のものに上書きされていく様子が見てとれた。

 アバンの腰を支え、ある一点にグッと押し付ける。
「あぁっ!」
 見つけた、ここだ。
「え、あ、あ」
 抜かずに擦るように小刻みに揺する。
「あ、あ、や、なに、声、止まらな、い」
 手の甲で口を押えてはいるが、声を抑えられてはいない。上付きなのは大人のアバンと同じなんだなと妙に感心しながら、重点的に攻め立てた。
「や、あ、ぁ、あっ」

 太腿が痙攣している。跳ねる身体を逃がさないと言わんばかりに腰を掴む。体格差のせいなのか、アバンの身体は面白いようによく跳ねた。それをどうにかしようと縋るように両手を首へ回し、ぎゅっとしがみつかれ、内壁がきゅうきゅう性器を締めてくる。
「くっ……」
 ヒュンケルもじきに達しそうだった。
「も、イ、く……イ、やっ、あ、あ!」
 ガクガクと揺らされて、熱いものを注ぎ込むとアバンは全身をビクビクと震わせ、呆気なく果てた。


 肩で大きく息をしていたのが落ち着いてからも、なんとなく離れがたくて、繋がったまましばらく向き合い、抱き合っていた。

「私、あなたとどこかでお会いしたことありますか?」
 ぽつりとアバンが言った。

「……いや」

「不思議と懐かしい感じがするんです」
 スンっとヒュンケルの髪の匂いを嗅いだ。
「なぜでしょうかね?」
 アバンは目を細めて首を傾げた。

 こんなことをしておいてなんだが、と軽く咳払いをしてヒュンケルは言った。
「アンタ、得体の知れない奴を信用しすぎじゃないか?」

 質問の意味がわからないのか、アバンはキョトンとした顔をしている。

「オレが極悪人だったらどうするんだ」
「あなた、悪い人……なんですか?」
「……いい奴ではない」

 オレのこれまでの行いを振り返れば、良い人でないことは確かだ。二度と悪に染まらないことを誓い、最終的に勇者と共に世界を救うパーティにいたとはいえ、魔王軍の軍団長として無辜の人間に手を掛けた事実が帳消しになどなるはずもないことは、自分が一番良く分かっている。

 んー、と拳を口に当ててアバンは言った。
「自分のことを良い人間だと声高らかに言う人のほうが、信用ならないですよね」

「私、人を見る目はあるんですよ」
 とにっこり笑い、だから、と続けた。
「はじめて、が、あなたで……」
 よかった、です、と蕾が花開くようにはにかみ、小さく呟いた。
 それを見たヒュンケルはムクムクとまた大きくなった。
「あ、えっ……どうして、」

 胎内の質量が変わり驚き戸惑うアバンを見て、ふうと溜息をついた。
「全く、アンタって人は」
 無自覚に人を煽る癖は、この頃から健在だったのか。


「もう一回、していいか?」
 許しを乞うように鼻先をつけて尋ねた。

「あら、極悪人なのにそんなこと訊くんですね?」

「……泣かすぞ」

 いたずらっぽく笑うアバンと鼻先をくっつけたまま、額で額を小突いて凄んだ。
「わー、怖ぁーい」
 アバンはちっとも怖くなさそうに声を立てて笑った。

 広げたマントと地面の凹凸を確認してからそっと押し倒す。
「背中、痛くないか?」
「ん、へーきです」

 少しずつ身体を折り畳むように体重を乗せた。


 ゆっくりと抜き差しを繰り返すその動きに合わせ、快楽は寄せては返す波のように行ったり来たりしている。二人は浅瀬の小舟のようにゆらゆら揺れていた。
「気持ち……いい」
 アバンは熱に浮かされたような潤んだ瞳でヒュンケルに訴えている。
「ああ、オレもだ」
 ゆらゆら揺れるその瞳に溺れそうになっている。

 まるで息継ぎでもするかのように、酸素を求めて互いに唇を合わせた。
 呼吸が重なったその瞬間。
 ひとつになって弾けた。




 乾かした服に袖を通しながらアバンが尋ねた。
「あなた、恋人がいますよね?」
「……なんでそんなことを」
 訊くんだ、と言いながらつい目を逸らしてしまう。

「私を通して別の誰かを見てるな、と」
 思ったんです。座ったまま、上から順に上着のボタンをはめていく。
 若いアバンを抱きながら、31歳のアバンを思い浮かべていたことを見透かされていた。
「鋭いな」
 幼くても流石にアバンだな、とヒュンケルは思った。

「あなたの恋人が、羨ましい……です」

身支度を整えるとすっと立ち上がり、アバンは言った。
「恋人の手……離さないでくださいね」

「ああ」

 それに、
「もう、浮気しちゃだめですからね!」
 と付け加え、ぴしっと人差し指で胸を小突かれた。
 どちらもアバンなので正確に言うと浮気ではないのだが、うまく説明できない上に納得してくれそうにないのでやめておいた。


 自己紹介が遅くなってしまいましたね、今更ですがと前置きしてアバンは言った。
「わたしはアバンといいます。あなたは?」

「オレは――」

「……」
「……」
「名乗るほどの者じゃない」


「じゃあな」
 ヒュンケルはアバンに背を向け、手だけを頭の後ろで振り、元来た道である洞窟の奥へと歩き出した。

「はい!お元気で!」

 振り返らなかったがアバンはきっと笑っている。


◇


 目が覚めると、部屋は窓から差し込む朝日でやわらかな光に包まれていた。居心地のよい空気を漂わせる部屋は、調度品の全てがアバンによって整然と整えられ、清潔感があって心地良い。身体が資本ですから良質な睡眠がとっても大事なんですよ、と力説した張本人は、パプニカ製の上質なリネンにくるまれ、小さな寝息を立てながらヒュンケルに身体を預けている。
 ヒュンケルが長い睫毛にそっと触れると、一瞬むずがるような仕草をしてからゆっくりと目を開いた。

「ん……おはようございます」

「よく寝れたか?」

 カールのとれた水色の髪を漉くように撫でた。

「お陰様で。あなたがなかなか寝かせてくれないからまだ眠いですけどね」
 拗ねたような返事が返ってきた。
「アンタの反応が可愛くてつい、な」
 もう、と尖らせたアバンの唇に宥めるようにキスをする。これで最後だと言ってから2回はした。ふたりが眠りについたのは空が少し白み始めた時間だったのは確かだ。


 少しだけ空けていた窓から入る風が観葉植物の葉を揺らしている。


「……思い出したことが、あるんです」
 少々の沈黙の後、アバンは少し頬を染めてヒュンケルを見た。

「私、はじめてあなたに抱かれたとき、なんていうか、待ってた……んです。頭のてっぺんから爪先まで、全身で、全ての細胞が待ち侘びていたような懐かしさを感じたんです。なぜでしょうね」
 ふふ、おかしいですよね、自分でもよくわからないんですけど、と呟いた。

 昔ね、とアバンは続ける。
「ヒュンケル、あなたに似た人に会いました。優しい目をした銀髪の剣士でした。その人はヒュンケル離れ離れになってしまった私に、必ず会えると言ってくれました。私はその言葉にとても救われたんです。あれ以来お会いすることはなかったのですけども」
 彼、元気にしてるといいのですが、と懐かしそうに目を細めた。

 ヒュンケルは自分でも知らないうちにアバンを凝視していたらしく、視線に気付いたアバンがはっとする。
「ベッドで他の人の話をするなんて、とんだマナー違反でしたね」
 ごめんなさい、と慌てて起き上がり謝った。

「いや、いい」

「なんでちょっと嬉しそうなんです?」

 そう言われてヒュンケルは、はじめて自分がニヤけていたことに気付く。なんでもない、と口を尖らせて顔を横に向けた。アバンは訝しげな表情でヒュンケルを見つめている。

 その理由はオレだけが知っていればいい。
 神なのかなんなのかはわからないが、あの日の若かりしアバンに出会えたことを心から感謝しよう。

 ヒュンケルはアバンの手をとり、強く握った。
「どうしたんですか?」
「手を離すなと言ったのはアンタだろ」
「何の話です?」
「いや、こっちの話だ」

 言われなくてもわかってるさ。オレはもう二度と、

――この手を離さない。